コロナ禍がはじまってから、いやなものを削りまくってきた
自分にとっての「いやなもの」がはっきりしてきてしまった。
「いやだ」という感覚は、実際に何らかの物事に直面しないと感じることができない。
仕事でも、人間関係でも、身のまわりのモノでも、経験したり関わったり触れたりすることで「うわ、これやりたくねぇ」とか、「こいつとは関わりたくねぇ」とか、「これは即座に捨てたい」と分かる。
吾輩は長い間、嫌なものに囲まれてきた。例えば仕事。興味がないまま、いつか役に立つかもしれないと思ってやり始め、何年もやっていればだんだん興味が湧いてくると言われて10年以上続けてきた。確かに普通の人より知識は増えたけれど、これを掘り下げてどんどんスキルを磨いていこうなんていう気持ちにはなれなかった。
逆に、その仕事が苦痛になってきた。特には身体全体が拒否反応を示して動けなくなった。なんでこんなにいやなのかな。仕事ができなくなって周りの人たちに迷惑をかけるたびに考えていた。
理由は自分が一番感じていたことだったかもしれない。何をどうがんばっても、「つまらない」という気持ちが消えなかったから。
まぁ、1000歩譲って、人から感謝されたり、評価されるようなことがあれば、もう少し頑張れたかもしれない。でも、別に感謝されるようなこともないし、何かを達成した気持ちにもなれないし、成長を感じることもなかった。
贅沢な悩みだったのかな。でも、いやでいやで仕方なかったのは避けられなかったもんな。なるべくしてなったんだ。
いずれ限界は来ていた。だましだまし続けてきただけだということは分かっていた。何年も前から、仕事がいやでできなくなるという形でサインがたくさん来ていたんだもの。
これってさ、人間関係も同じだよね。場所とかモノでもそうかもしれない。
一緒にいると、いつの間にか苦痛を感じるようになってきて、我慢するんだけどやっぱりダメで、もう無理ってなって別れてしまうとか。
気に入って買ったはずの靴がすこし足に合わなくて、痛くても履き続けるんだけど我慢できなくて、最終的にどうしても痛みに耐えられず脱いでしまうとか。
「いやだ」っていう感覚からは逃れられない。無視したら自分がどんどん歪んでしまう。
そんな中で2020年がやってきて、コロナ禍に突入した。
人や物事の間に自然に距離を取らざるを得なくなり、吾輩はとてもとても楽になった。
他者や仕事に割く時間が減り、自分の中に余裕ができたことで、何がいやだったかがクリアに見えてきた。すると、もう我慢ができなくなる。いやだって気付いちゃったから。
終わりが見えると、執着もなくなる。
すると、自然と手から離れてゆく。
いやなもの、いらないもの、重たいもの、
どんどん削っていったよ。
家の中の断捨離もしたよ。人ともお別れしたよ。いやな仕事も離れていったよ。
幸い吾輩には贅沢さえしなければ困らない生活とお金があり、元々人との関わりに疲れてしまう性分から巣ごもりには苦労しなかった。
もちろん、仕事がどうなるか分からない焦りは確かにある。これまでの積み重ねがガラガラと崩れていくんじゃないかという恐怖もある。今後もどうなるか分からない。めっちゃ怖い。
でも見方を変えれば、自由な時間と不自由のない生活環境がある今は、自分をもう一度見直して軌道修正するチャンスなんじゃないか。
そんな風にも思う。やっぱり怖いけど。
今、吾輩は、馴染みの仕事仲間と苦痛じゃない範囲で仕事をしつつ、ゆったりした生活を送っている。
ゆるやかな時間の中で、これからの生き方を模索している。
ずっと自分に嘘をついて、追い込んで生きてきたからね。
本当に好きなものってなんだろうって、分からなくなっちゃったんだよ。
だから、今は自分を取り戻す時間なんだと思う。
自分のために、何ができるかな。
大事な人たちのために、何ができるかな。
両方とも必要。